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関張馬黄趙伝 第六

黄忠

関羽 張飛 馬超 黄忠 趙雲

夏侯淵を斬る大手柄

字は漢升。

荊州の牧劉表は彼を中朗将に任じ、劉表の従子と共に長沙の県を守らせた。 曹公は荊州を打ち破ると、仮に裨将軍の官につけ、 そのまま元の任務をとり行わせ、長沙太守韓玄の統制下においた。

先主(劉備)が南方の諸郡を平定すると、黄忠は臣下の礼をとり、付き従って蜀に入国した。 劉璋を攻撃した。黄忠は常に真っ先に駆けて陣地をおとし、その勇敢さは三軍の筆頭であった。

益州が平定された後、討虜将軍に任命された。 219年、漢中の定軍山において、夏侯淵を攻撃した。 夏侯淵の軍勢は非常に精悍であったが、黄忠は鉾をつきたて、あくまでも進軍し、 率先して士卒を励まし、鐘と太鼓は天を振るわせ、歓声は谷を動かすほどで、 一度の戦闘で夏侯淵を斬り、夏侯淵の軍は大敗北を喫した。

征西将軍に昇進した。

この年、先主は漢中王になり、黄忠を後将軍に起用するつもりであったが、諸葛亮が申し出た、

「黄忠の名声・人望は元々関羽・張飛と同列ではありません。 それを今直ちに、同等の位につかせようとしておられます。 馬超・張飛は近くに居て、自分の目で彼の手柄を見ておりますから、 まだご趣旨を理解させる事が出来ましょうが、関羽はこれを聞いて、おそらく喜ばないに違いありません。 どうも良くないのではないでしょうか。」

先主は、「わしが自分で説明しよう。」と言い、 かくて関羽らと同等の官位につけ関内侯の爵をたまわった。

翌年逝去し、剛工の諡号を追贈された。

私的感想

黄忠最大の見せ場はやっぱり夏侯淵を斬った事でしょう。 正に大手柄ですね。

劉備の幕下に入った後は活躍の記述もありますが、 劉表や韓玄の時の記述はほとんどありません。 黄忠は演義では老将軍として活躍しますが、 実際には年齢の記述は見かけられず、 老いていたかどうかは不明です。